
こんにちは!いまここです。
先日、「逃走中」が放送していましたね。

僕は、逃走者側として参加してみたいなと思いつつ、見る分にはいまいちな番組だと思っています。
ネット上には「逃走中ってつまんない」みたいな意見が多いですが、それなりに視聴者がいるからこそ、特番として放送されるのだと思い、少し感心していますが…
人は人、自分は自分
「逃走中」とは
逃走中とは、限られたエリアの中で、ハンターから逃げた時間に応じて賞金を獲得できるゲームです。
設定された時間まで逃げ切れば高額賞金が手に入ります。
大人の鬼ごっこといった感じです。
ゲーム中は逃走者に様々なミッション与えられます。
ミッションをクリアすれば、ハンターを減らすことができたり、ハンターに捕まった人を復活できたりします。
ちなみに賞金は、定かではないですが、1秒200円で90分くらい逃走していたと思うので、最後まで逃げ切れば108万円が手に入ります。

ルールでは、途中リタイヤ(通称、自首)することもできます。
その場合、その時点までの賞金を手に入れることができます。
ゲーム途中での自首は、全然あり!
過去には…
改めて逃走中を調べてみると、過去にE-girlsのAmiさんやドランクドラゴンの鈴木拓さんが自首したことで、結構批判があったらしい…です。


実際の放送回を見ていないので、何かいけない言動があったのか分からないですが、ルール上は全く問題ないです!
むしろ、終了間際にハンターに見つかって捕まりそうになったとき、僕でも同じ行動をとってしまうかもしれないと思います。
いや、自首します!
批判する人の気持ち
批判する人は、自首する人が得られる賞金が羨ましいって言うひがみじゃないのかなーって思います。
「最後までしっかり逃げ切って、賞金をもらおー!」なんて、ただの同調圧力なんじゃないでしょうか。
ルール内の権利を行使しただけなのに、それを批判するのは、いかがなものかって思ってしまいます。
僕からしたらネットでたまに見る、有給を取得しようとして、文句言ってくるようなブラック企業の上司の考え方と一緒だと思います。
「嫌われる勇気」にヒントあり
アドラー心理学の入門書である「嫌われる勇気」の中にこんな一節があります。
承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
嫌われる勇気 岸見一郎、古賀史健著(P136)
つまり、他人の意見のまま生きることは、他人の人生を生きることになってしまいます。
逃走中は、最後まで逃げ切ることが称賛されますが、自分の意思を貫いた勇気ある自首も十分に称賛に値するのではないかと思います。
「他人の目ばかり気にしてしまい、自分の人生を歩めていない。」と思う方には、「嫌われる勇気」はとてもおすすめです。
想定の範囲内
番組の製作者側からすると、自首する人に批判が集まりSNSが炎上することはおそらく想定の範囲内のことだと思います。
むしろそれを狙っている可能性もあると思います。
疑り深い僕からすると、ネット上など番組の外で、逃走中が盛り上がることで、さらに視聴者を増やすことを狙っているのではないのかと考えてしまいます。
こんな僕も逃走中についてブログで書いてしまっているので、番組の製作者の思うつぼにまんまとはまっているだけなのかもしれませんが…